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気に成るところ、木津を目指して〜
山背の国をポタリ…祝園神社 (24)


今年四度目(自転車三度目)の
怪しい親爺わっぱの会です。

本日の式内社十一社目です!
M先生行きましたね。

へぇ〜連発の珍道中

※マウスポインターを置いてください。 

             撮影:平成22年10月16日  

秋の陽は釣瓶落とし…
真っ暗になる前にと〜
木津は諦めました。。

※西へ〜

ん?何??と思えば…
お茶なんですね。。



開橋を西へ〜
木津川渡って。。

木津は月の下。。
恨めしや〜

※脱兎の如く。。

ホンマにエエ天気でした!
柞の森が見えてきました。

夕焼風景〜
甘南備山は今回のランドマーク。。

※血のような夕焼け。

階段、提げて下りました。

※祝園神社
人皇第10代崇神天皇の御代、第8代考元天皇の皇子、
武埴安彦が朝廷に反逆を企て遂に此の地に於いて討伐されたが、亡魂は柞ノ森に止まり、
人民を悩ませしを第45代聖武天皇神亀年中に、
これを撲滅せんとするも鬼神の所業なれば、人力にては如何ともなり難く、
後年48代称徳天皇の御代、神力を以てこれを撲滅せよとの勅命により大中臣池田六良広綱、
宮城七良朝藤が、祝部となり、神護景雲4年1月21日の春日の大神を御勧請し創祀された。
かくして斎戒沐浴精進祈願により、(これが今に伝わるいごもりの始まり)
神力の加護の基に遂に悪霊撲滅の難業なり、広綱、朝藤の功と相俟って揃って漸く悪病平癒、
人民安堵、農家の繁栄、商工業の隆盛を見るに至った。かかる霊験灼かなる神なれば、
貞観元年正月27日に神階位従5位下を授け後年延喜式内大社に列せられる。
天正4年7月24日には天下泰平の国宣あり、院參の官人及び武門武将の尊崇深く、
社殿の修造に寄進の事がしばしば見受けられ慶応3年8月には有栖川官家より御寄進を賜り、
同官家の御祈願所となる。明治6年郷社と定められ祝園村の産土神と決定の旨達せられる。
昭和38年高松宮殿下より、有栖川宮威仁親皇殿下50年祭に当たり、同殿下の筆録を御寄進あり。
又、昭和59年4月14日、いごもり祭は京都府無形民俗文化財に指定された。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁より

盃状穴
有りました!

※この日、最後の夕日への挨拶

ここ凄いです!
LED電球化しています。

※一人なら
よー入らんと。。

JR学研都市線
祝園駅にて〜プシュっと。。
エエ天気に、エエ季節、エエ神社巡りでした〜
車が多いのには閉口しましたが…
カラスが啼くから帰ります〜
今回、浮ドンはドタキャン〜!

かもさん、
ねずみ君、福ちゃんは
お休み。。残念!
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